アートをきっかけに考える

昨日は佐賀県基山町へでかけてきました。

「ようこそ井戸端会議へ!」プロジェクトとして基山町の委託で基山フューチャーセンターラボが実施しているイベントに参加。この「ようこそ井戸端会議へ!」のプロジェクトは、子育て・孫育て中、地域で子供と関わる方など幅広い方を対象にしていて、内容も、幅広いのです。フラワーアレンジメントや片付けの話、そして、コミュニケーション、今回、私が参加させていただいたのは、「アートで考える力を育む」と題して、京都造形芸術大学の岡崎大輔先生をお招きしての内容でした。

岡崎先生は、「対話型鑑賞プログラム」というアートをただ鑑賞するのではなく、鑑賞する人が互いにコミュニケーションをとることで、新たな気づきを得るという鑑賞スタイルでワークショップや、企業研修を実施されていらっしゃる方です。

ACOP / エイコップ(Art Communication Project)とは、「みる・考える・話す・聴く」の4つを基本とした対話型鑑賞プログラムです。美術史等の知識だけに偏らず、鑑賞者同士のコミュニケーションを通して、美術作品を読み解いていく鑑賞方法を提唱しています。

ACOP アート・コミュニケーション研究センター|京都造形芸術大学

 

 実際に、「対話型鑑賞プログラム」と体験して、まずは、「一人でみる」(この時間をたっぷりとるのも印象的でした)そして、「考える」そのあと、互いに「話す」のですが、この「話す」ことで、自分の気づきが膨らむのです。今までじっくり時間をかけてみていたのに、背景に気づいていないものが描かれていたり、表情が違ってみえたり、自分が持っている思考のフレームをどう外すか苦労することが多いのですが、対話することで、すっと受け入れられます。もちろん、どうやっても、私にはそうみえないわ・・・みたいなこともあります。

 その中で私が気づいたのは、作品をみるとき、人は自分の記憶の整理をしているのではないかということです。自分の過去の経験、出会った人、感じたこと、普段記憶の中に埋もれているものには、実はタグのようなものがついていると私は思っているのですが、作品をみることで、そのタグを辿っていく作業を脳の中でしているのでは?と感じました。例えば、口が開いた人の顔の絵をみて、過去に同じような表情をした人とであった光景を思い起こし、そのときに、自分が感じたことにより、作品の受け止めも変わるのではないかと。うまく説明できないのですが、口が開いた人が「笑顔で何かを楽しんでいる」と受け止めるのは、同じだったとしても、過去に自分も一緒に楽しんだ経験を思い出す人もいれば、自分は輪に入れなかったと思いだす人もいる。さらに、その笑顔の経験が、何かをやる最中なのか、やりとげた後なのか、その過程によっても、生まれてくる感情が違ってくると思います。笑顔の人物画一つとっても、人がその絵をどう受け止めるかは、その鑑賞者の過去の経験、感情、そのときの状況に左右されるのだと改めて感じ、それは、「記憶の整理」ともいえるのではないかと感じたのです。

 そう考えると、アートというものは、作品を作る人にとっても、作品を鑑賞する人にとっても、「自分の人生の何か」といえるのかなと。

 

アートとはそこにはない何かをそこにみる行為

と、岡崎先生も昨日おっしゃられていたし、私がこれまで思っていた、アートとか、美術鑑賞というものが狭義のもので、実は、アートというのは、もっと身近で奥深いものなんですね。

 

 私は、美術なんて全く興味がなかったのですが、それって、学校の授業で、感想を強要された経験の弊害かも。

 全体の振り返りの際に、子供が絵を鑑賞するときのポイントを伺ったのですが、語彙力が不足していると表現に困ることがあるけど、しっかり感じているということ、絵をみてどう感じるのかを丁寧に聞いていく、絵のどの部分からそう思うのかということ。

さっそく実践してみようと思いました。

 

 まさか自分が美術館に行きたいなんて思うとは思わなかったけど、人生っていろんな出会いがあって、面白い。