地域とキャリアは「かかわりしろ」

11月15日に、基山フューチャーセンターラボで行われた、雑誌ソトコトの編集長 指出一正さんのトークイベントに参加してきました。

 

実は私、ソトコトという雑誌は知っていたものの、あまり興味はなく購入したことはありませんでした。そんな白紙の状態で、今回話を伺っているなかで、これは!と思うセンテンスがたくさんありました。

 

まず、最初にびっくりしたのは、

マクロで物事を考える人が増えても、物事は変わらない。

在野の人はマクロで語ってはダメ。

自分がキャッチできる、土地で出会った人から享受したものを

ミクロな視点で一言一句拾う。

ミクロな視点でみる つまり、解像度をあげる。

好きなもの、まちのの解像度をあげてみる。

どちらかというと、マクロで物事を考えなくてはと思っていた私にとって、これは衝撃でした。ミクロでみると、一人一人の事例になる、一般化して、普遍なものにするというところが私のベースに、あったのですが、それでは、ダメだと開始数分で指摘されたのですから、本当に衝撃でした。

 

次に、驚いたのは、

内向き、内向きに発信する

中でおもしろいことをやると、外から覗きにくる(天岩戸方式だそうです)

どちらかというと、地域の魅力は、その地域に住んでいる人はわかっている前提で、外向きに発信するという考えだったのですが、それを内向きに?それってターゲットも少ないし、意味ないのでは?と思ったのですが、確かに、中が面白くないと、外には伝わるわけもない。と納得。

その後に別の文脈でも同じようなことをおっしゃられていて、

外から風の人がやってきた。

まちに変化がおきる ではなく、

内の人が希望を語れるのが大切

(一回逃げ出していたり、挫折したり、

 でも、夢を語っているみたいな)

まちが面白いと、若者がやる気になる

先輩世代は、若い人が新しい発見をしたら、

「それは昔から・・・」といってはダメ。

それは昔からあったことであっても、

新しい発見であり、再発見ではない。

そのまちに入ってくる時間(生まれたり、移住したり)が

異なれば、それは違うまちである

確かに。

まちづくりの在り方を示唆するお話しもありました。

都市計画とかいろいろ行政的にはあるのでしょうけど、

まちづくりを計画的にするのはしんどい

まちづくりは工作的に。

地域の「かかわりしろ」があることが大切。

 

偶発性を呼びおこさせる計画性は必要。

バランスよくではなく、ミルフィーユのように重なり合う

まちが面白いのは、まちに関わる人が多いか、少ないかで決まる。

(つまりかかわりしろがある)

「みらいしろ」がどれくらい残っているか。

 

新しい地域を編集し、発信するソーシャルな視点

1.関係人口を増やす

  その地域に変化を起こす。標本化したり、終わらせてはダメ。

  教育・リノベーションは完成をみせない。

 (かかわりしろをずっとある)

  子供たち・若者は「みらいしろ」がある。

 (みらいがどれくらい残っているか。)

2.未来を作っている手ごたえ

  モヤモヤしていていい。今やっていることが何になるかわからない。

  3年後、5年後の手ごたえを感じられるか。

3.「自分ごと」として楽しい

  社会の為に、地域の為にではなく、自分が楽しいと思うか。

  自分が楽しいことが正解。社会を変えるエンジンになる。

 

備忘録てきに、メモとして残してみたけれど、

これって、いろんなところでもいえると思うことばかり。

 

結局、自分がどれだけコミットメントできるかとか、

「楽しいようにみせる」のではなく「楽しめるか」だったり、

ナカのヒトが楽しくないものには、人は集まらないんだなと改めて思いました。

 

企業の離職率も同じようなことがいえて、「ナカのヒト」が楽しくないといっているのに(つまり、離職しているのに)、いいひとが集まらないといっているのは当たり前なのかも。もちろん、私自身は、離職が悪いとは思っていないのだけど。

地域といっしょで、UターンもIターンもありなのが、これからの社会なのではないかしら。

 

「かかわりしろ」についてもそうで、大企業になると、完成していて、もう自分のかかわりしろがあまりない。または、かかわりしろがみえない。

小さな企業やスタートアップの企業は、かかわりしろが大きい。だから、楽しいし、コミットメントできる。

当たり前だけど、地域も企業も一緒なんだなと思います。

 

で、何よりも、話を聞いて思ったのは、

キャリア教育とかいろいろいうけど、それって教育でなんとかなるわけではなく、

人と人とのかかわりを作ることでしか、解決できないのではないかということ。

 

指出さんはそんなことこれっぽっちも話していらっしゃらないのですが、

話されている内容を聞いて、地域のことだけではなく、人の人生も同じだなと思ったのと、世界がこれだけ動いているなかで、私たちのキャリアは教育できるものではなく、その時代を感じ取るものではないかと思ったのです。

だから、感じる感性を培うことと、地域といっしょで「かかわりしろ」を提供することは大切。

でも、それは「教育」という2文字で語るにはあまりにも深すぎるし、画一的すぎる気がします。

 

とりとめがなくなってしまったけど、備忘録的にまとめてみました。

このタイミングで、この話をきけたことに感謝。